九州アメフトマネジャ

【泣くのなら】
The Last Year No.3
原田美優 MG

 大学入学のころのことです。実家から通う私は大学までの通学時間が長く、またアルバイトをしたいと思っていたため、当初は部活・サークルには何も入らないでおこうと思っていました。それでもアメフト部に入部したのは「熱さに惹かれたから」です。
 高校の時の吹奏楽部は月に一度休みがあればいいくらい。毎日が練習でした。私たちの目標は、毎年夏のコンクールの県大会で金賞を取り、更に九州大会に出場することでした。しかし、県大会で金賞を取っても必ず九州大会へ出場できるとは限りません。九州大会への出場推薦枠は決まっていて、金賞の中でも高得点の数校しか先に進めないのです。先のない金賞は「カラ金」と呼ばれ、1、2年生の時はその「カラ金」で悔し涙を流しました。
 そして迎えた3年生の夏。県大会の結果は金賞。けれども、本当に小差で九州大会への切符を逃し、再び悔し涙を流しました。それでも、あの時みんなで1つになって全力を出し切った夏は私の宝物です。
 「大学ではもう部活に入らない」と決めていたのですが、アメフト部の先輩に触れ、私の中にまた熱いものが芽生えてきました。「九州制覇」を目指すという先輩たち。その目標を語る目を忘れることができません。
 吹奏楽とアメフト。フィールドは全く違いますが、持っているのは同じ「熱いもの」です。「この人たちと一緒に頑張りたい、共に目標を達成したい」と直感で強く感じました。入部を決意してから一人だけ練習風景も見させてもらったことがあったのですが、そこでは勧誘の時とはまた違うピリッとした表情の先輩たちがいました。
 帰り際、マネージャーの先輩から「勧誘の時とは全然雰囲気が違って、びっくりしたでしょう?みんな本気だから、つい厳しい声も出たりするんだけど…怖くなかった?」と聞かれました。私はむしろ虜になりました。普段は仲良しでも、練習になると意見をぶつけ合ったり、厳しいことを言い合うことは吹奏楽部時代もたくさんありました。それは本気だからです。本気で「金賞」を目指していたからこそ、自然と互いに高め合っていたのです。ONとOFFを切り替えられる先輩たちを見て、ここに入部して間違いないと感じました。そして、先輩たちのように、私もここに4年間をぶつけようと決意しました。
 そしてその年に「九州制覇」を成し遂げました。九州優勝が確定した瞬間、4年生の先輩たちはもちろん、後輩たち、コーチの方々、会場の皆さんが、嬉し涙を流していました。私もその一人です。
 1年生の私は仕事をなかなか覚えられず、思うように成長できない自分に悔し涙を流す毎日でした。それでも、その時の優勝した瞬間のあの何とも言い表しがたい、胸が熱く、言葉にならない思いが涙としてこみ上げてくる感じ。それは4年生となった今でも思い出すだけで目頭が熱くなります。
 その後、2年、3年の時は苦しい試合が続き結果は4位。1年生のあの優勝した瞬間から今まで、先輩たちや同期・後輩たちの悔し涙ばかり見てきました。でも、2年と3年で4位が決まった時も泣きませんでした。周囲は泣いていたけれど、泣きませんでした。悔しかったからです。泣いたら負けを認めてしまうような気がして。もう、嬉し涙しか流したくない、流さない。そう思いました。
 そして、4年生になるとき、その思いは「後輩たちにも嬉し涙を味わってほしい」という思いに変わりました。
 月日が経つのは本当にあっという間で、今の部員の中で優勝の感動を知っているのは、私たちの代だけになってしまいました。私は後輩たちにあの優勝の喜びを知ってもらいたい、もう一度みんなであの優勝の喜びを感じ合いたいと思っています。どんなに辛くても、大変でも、私の心の中でこの思いは消えません。
 吹奏楽部の頃は人数が多く、コンクールで演奏するためのオーディションがあり、それに合格した人しか出場できませんでした。アメフト部でもプレイヤーはスタメン争いがありますが、マネージャーはオーディションもスタメン争いもありません。だからこそ、各自が自分の持つ仕事を全うし、さらに+αの価値を提供することがより良い環境作りに繋がると思います。苦しい時も大変な時もありますが、最後まで私にできること、私にしかできないことを、全力で続けていきます。
 全ては「優勝」して嬉し涙を流すために。